【自己紹介】私のこれまでの経歴や今後の展望

プロフィール

本記事について

本記事では、私YUJIのことをよく知っていただくための自己紹介をしていきます。

TwitterやYouTubeでは、なかなか自己紹介をする機会というものがないため、こういう時にブログって便利ですよね^^

これから時系列順に自分の出身地やキャリアについてまとめていき、最後に今後の展望について触れていこうかと思います。

この自己紹介文を読んでいただいた上で、私のTwitterやYouTubeを見ていただくと、より私の発信についての理解が深まると思います。

それでは早速、出身地から紹介していきますね。

出身地

私は1993年、滋賀県に生まれ、近江八幡市というのどかな町で育ちました。

日本一大きな湖である琵琶湖や、るろうの剣心の映画撮影に使用された「八幡堀」、和菓子・洋菓子で有名な「たねや」の本社があり、ちょこちょこと見所はあります。

(👇下図は八幡堀)

滋賀県近江八幡市

グルメに関しては、神戸牛、松坂牛と並び三大和牛に数えらえる近江牛や赤こんにゃくなどが有名ですかね。

あとはゆるキャラの「ひこにゃん」が有名だったりします。

滋賀県には親戚がいる、琵琶湖以外の水が枯れ果ててしまったなどの理由がない限り、来ることはないと思いますが、もし機会があれば楽しんでいってください^^

中学〜高校時代

中学時代

生まれ故郷についてはこれくらいにしておき、私のこれまでの経歴を簡単に紹介させていただきます。

ちょっと遡りすぎだとは思いますが、せっかくの機会なので中学時代まで時間を巻き戻したいと思います(笑)

中学時代は、地元で有名だったサッカーのクラブチームに入り、学校→練習→学校の繰り返しでした。

当時、ぼちぼちうまかったので、副キャプテンを務めたり、上級生の試合にレギュラーで出場したりしてました。

そして、休日はとにかくゲーセンです。

これが放課後の一番の楽しみだったと言っても過言ではありません(笑)。

やっていたのは、当時流行っていた「イニシャルD」というアーケードレースゲームです。

ゲーセンのアーケードレースゲームといったら、「湾岸ミッドナイト派」と「イニシャルD派」に別れるやつですね。

湾岸ミッドナイトはハンドルを切っても全然思うように曲がらないのが嫌いで一回だけやって、すぐに一生やらないと心に決めました。

ゲーセンにはハマりにハマって、おそらく総額で5万円くらい使いましたね。(笑)

ちゃんと数えていないので、もしかしたらもっと使ってるかもしれないです。

ただ、中学時代全てをクラブチームとゲーセンに費やしていたわけではなくて、三年生になったら、高校受験のために「開成」という塾に通い始めました。

そして、この開成に入塾したことが自分の人生の大きなターニングポイントとなることになります。

塾に入るまでは、サッカーとゲーセン漬けの毎日でしたが、勉強はそれほど嫌いではなく、成績も真ん中のちょい上くらいをずっとキープしていました。

勉強がもともと嫌いではなかったこと、そして塾に一緒に通うメンバーが自分とめちゃくちゃ仲が良かったことが相まって、塾に行くことが一番に楽しみになっていました。

しかも、他校ではありましたが、一人可愛い女の子がいて、その人にずっと片思いをすることになるわけですが、その人の存在も塾が楽しみなる要因として大きかったですね。(甘酸っぱい。。)

塾に行くことが楽しみというのは、あまり誰も経験したことがない感情だと思います(笑)

自分はこのような経緯から塾に入ったあと、猛烈に勉強し始めました。

とにかく塾に行くことが楽しくて、そのセットで勉強もさらに好きになったのです。

それだけ勉強をすれば、もちろん成績もぐんぐん右肩上がりで伸びていきました。

当時偏差値が50ちょっとくらいしかなかったのが、数ヶ月という短期間で60くらいまで上がりました。

この成功体験が、さらに自分に火をつけました。

もう完全にポジティブループに入りましたよね。

結局は、滋賀県で一番進学校の膳所高校も狙えるくらいまでに成長しましたが、家から通えて、なおかつ万が一でも私立に通うことになったら困るため、確実に合格する偏差値60ちょっとの高校を選びました。

ちなみに自分の好きだった子は、かなり頭が良かったため、滋賀県で一番賢い高校に行くだろうから同じ高校になることはないだろうなと、少し寂しい気持ちになっていました。

この中学三年生の時に、塾に通って猛烈に勉強が好きになったこと、猛烈に成績が上がった成功体験は、高校以降の自分の運命を大きく変えることになったと今でも思います。

自分の人生における初めのターニングポイントはどこかと聞かれたら、迷わずにこの開成への入塾だと答えるでしょう。

高校時代

高校は、上記のように家から通えて、確実に合格するであろう偏差値60ちょっとのところに進学しました。

入学して早々、廊下を歩いていると、前からどこかで見たことがある女の子が歩いてきました。

あの時は自分の目を疑いましたね。

一番賢い高校に進学すると思っていた例の女の子が突然前から歩いてきたもんですから、自分は一瞬何が起こっているのかが把握できなかったくらいです。

突然、違う世界線に飛ばされてしまったのかというくらいの衝撃が当時あったことが懐かしいですね(笑)

そして、私の片思い第二幕が強制的に始まることになりました。

話は変わりますが、部活は中学から引き続きサッカー部に入部しました。

中学時代までは本気でプロを目指して、サッカーに取り組んでいましたが、当時所属していた滋賀県の選抜チームで一緒にプレーしていた後々プロ選手になる友達のプレーをみて、「これがプロになるレベルなんだな」と中学生ながらに悟ったため、急転直下、高校から勉強にシフトすることにしました。

ちょうど、中学時代の開成への入塾をきっかけに、「勉強は誰でも努力すればできること」「どこまでも上を目指せる可能性があること」を実感していたので、せっかくだから、高校では学年一位を取ってやろうじゃないかと思いました。

私は「大勢の中の一人」という言葉が世の中で一番嫌いな言葉であるため、自分に個性をつけるため、とりあえず定期テストで一位を取るために、ほとんどの生徒が手を抜いている中、自分は本気で挑みました。

その結果、入学してすぐにある定期テストで見事学年一位を獲得!

そして定期テストや模試があるたびに自分は3週間くらい前から、誰よりも本気で勉強して本気で一位を取りに行きました。

その結果、高校を卒業するまでの全ての定期テスト、模試において学年一位をキープすることができました。

成績の評点平均もほぼ全て10点満点中10点で、唯一保健や家庭が9くらいの成績を取っていました。

この高校での成功体験によって、さらに自分に大きな自信を持つことができました。

そして、大学受験が迫ってきて、進路を決めなければいけないとなったときに、私が第一希望の進路として選んだのは、滋賀医科大学の医学科でした。

なぜ医学科だったかというと、「単純に一番偏差値が高かった」「医者になったらお金を稼げそう」「モテそう」という不純な理由でした(笑)。

ただ、いざ受験本番が近づいてくると、やっぱり何か違うなと思い始めたわけです。

不純すぎる理由で受験しようとしているわけですから、当然そうなりますよね。

よくよく考えると、医者は確かに年収は高いけれども、自由な時間はないぞと思いました。

残業が多く、労働環境は過酷であり、しかも土日祝日関係なく、患者の容態によって病院に駆けつけなければいけない。

こんな責任重大で、多忙すぎる職業が自分に務まるのかと、思い始めました。

冷静に進路先のことを考えるのが遅すぎですよね(笑)。

その結果、私は受験当日、受験会場に行き、数学と国語は受けましたが、理科の時間になったときに、受験を放棄して帰宅しました。

ここに合格しても自分の幸せはないと判断したからです。

いや、もっと早く決断しろよと思いますよね(笑)。

自分でもそう思います。

高校で常に学年一位を取っていたがゆえに、自分の進路先のことを慎重に考えずに、「とにかく偏差値が高くてモテる医学科だ!」と調子に乗っていた自分に全て落ち度がありました。

本当に両親に申し訳ないことをしました。

これは自分の人生においての初めての大きな失敗だったと思います。

そして晴れて浪人生になるわけですが、今度は慎重に進路先を検討した結果、京都大学の工学部に進学することにしました。

京大を選んだ理由の一つ目は、家から近かったから。

二つ目の理由は、やりたいことがなかったため、ひとまず「京都大学」「工学部」という組み合わせがあれば、在学中にやりたいことが見つかった時に、選択肢を多く持つことができるだろうと考えたからです。

三つ目の理由は、京都大学の工学部ならほぼ間違いなく合格できる自信があったからです。

現役時代に自分のわけのわからない行動のせいで、両親に迷惑をかけているので、さすがに一浪しておいて落ちることは絶対に許されないと思っていました。

平和に浪人時代も過ぎ去り、2回目の受験がやってきました。

自分は割と浪人時代も真面目に勉強していたので、センター試験も二次試験も、現役の時のパワーを全く落とさず、受験に挑むことができ、案の定、京大の工学部に楽勝で合格しました。

京都大学は毎年ゴールデンウィークに入試の得点が開示されるのですが、私は平均点の+100点で合格していました。

この点数は、京大の医学部医科学以外の全ての学部学科に合格している点数だったので、割と結果には満足しています。

こんな感じで私の高校時代(+浪人時代)はジェットコースターのような変化の激しい毎日でしたが、なんだかんだ充実したものとなりました。

大学時代

大学は先ほどにも書いた通り、京都大学工学部電気電子工学科に進学しました。

京都大学は京都の中でも最も観光地が多い地区にあり、学生生活を送る場所としては、かなり環境が整っています。

大学の近くには、銀閣寺、南禅寺、平安神宮、哲学の道など、京都の有名スポットが多数点在しており、この京都らしい落ち着いた雰囲気が勉学を励むにはぴったりだと思います。

また三条や祇園など、京都らしさ全開のスポットもすぐ近くにあるため、学生は全員三条や祇園で遊び散らかすことになります(笑)。

大学時代は確かに楽しかったのですが、振り返ると、フットサルサークル活動や、飲み会、アルバイトなどに大半の貴重な時間を費やしており、今思うと典型的な貧乏脳の過ごした方をしていたと大いに反省しています。

1000万円で大学入学時に戻れるなら即決で戻ります。

1000万円なんて簡単に元を取れるくらい大学の4年間という自由な時間の存在は、人生において大きいです。

この頃に、プログラミングを勉強したり、ブログを書いたり、YouTubeなどをしていたら、リクルートスーツゾンビと一緒になって就職活動するなんてアホみたいな時間を過ごすこともなかったと思います。

今大学生の方は、今一度、自分のライフスタイルを見つめ直して、時間を有効活用できているかどうかを確認してみてください。

また、大学時代はよく海外旅行に行った時期でもありました。

自分はサバイバル感覚が好きで必ず一人で行っていました。

自分で観光する場所、タイムスケジュールを決め、全てのしがらみから解放されて冒険できるのが醍醐味ですね。

行き先は、お金をそれほど持っていなかったことからタイやベトナム、カンボジアなどの東南アジアだったり、インド、ネパールなどの南アジアが多かったです。

大学時代は、遊んでばかりで後悔することが多いですが、バックパッカーとして海外を放浪した経験だけは唯一、良い思い出です。

今大学生の方は、勉強も海外旅行でもなんでもいいですが、とにかく学生しかできないことは何なのかを考え、貴重な時間を有効活用してください。

(下の画像はカトマンズ(ネパール)です。)

大学院時代

研究室活動

大学院は、京都大学の情報学研究科に進学しました。

今話題になっている第五世代移動通信システム(5G)に関する研究で、物理層での波形整形によって帯域外輻射電力を抑制し周波数の利用効率を向上させることに取り組んでいました。

研究内容に興味はないと思うので、軽くスルーしてください(笑)

基本的には、自宅から研究室の往復の繰り返しでしたが、適度にデートを挟みつつ充実した生活を送っていました。

何も考えずに進学したため、大学院にいく意味はあまりなかったとは思いますが、自分の努力もあり、研究発表で色々な国に行かせていただき、良い経験もさせていただきました。

2017年にモントリオール(カナダ)、2018年にチェンマイ(タイ)、2019年にラスベガス(米国)と研究室では過去最多の海外出張をさせてもらいました。

海外での研究発表に関しては、大学院に行かなくてはなかなかできない経験であるため、研究を頑張っておいてよかったと思いました。

(下の画像はモントリオールでの研究発表会場です。)

また、ラスベガスの学会に参加した時に、同時期に開催されていたCESという、毎年1月、全米民生技術協会 が主催する電子機器の見本市に参加できたこともいい思い出です。

これは、滅多にできる経験ではないなと、この時も大学院に進学してよかったと思いました。

就職活動

話は変わりますが、大学院1年生の夏ごろに、周りよりも一足早く就職活動を始めました。

大学院の推薦枠で行けるような大手のメーカーや通信キャリアに興味が特になかったからです。

また、安月給で働くよりも、初年度から高給取りであるようなところばかりにエントリーしていました。

完全に「お金は会社からもらうもの」という発想しかできない貧乏脳の典型ですね。

結局、一般的に高給取りと言われる、アクセンチュア・PwCなどのコンサルティングファームや、TBS・日本テレビ・毎日放送などのテレビ局のインターンに参加しました。

最終的には、テレビ局は選考過程が多く、関西からではコストが大きいため本選考は断念しましたが、コンサルティングファームやキーエンス、そして気まぐれでエントリーしたNTTドコモから内定をいただきました。

初めはコンサルティングファームに就職しようかと迷いましたが、やはり高給である一方で、労働時間が長すぎるということが懸念としてあり、結局「ホワイト企業+副業」の方が「ワークライフバランスを保ちつつ、より多角的なスキルが身につくのではないか」ということで、コンサルティングファームではなくNTTドコモに入社するに至ります。

大手通信会社に入社後

会社入社後すぐ、どうやらフリーランスエンジニアという職業が稼げるらしいということをマナブさん(@manabu_bannnai)のYouTubeを見て初めて知りました。

この情報を就職活動前に見ておきたかった…と何度思ったことか。

お金を稼ぐために、「会社に勤める」という他に選択肢があることを知ったことをきっかけに、お金資本主義経済のことについて猛勉強しました。

そして、会社員が会社・国・銀行の三者からひたすら不当に搾取され続ける存在であることを理解しました。

これは、一刻も早く会社を出ないといけないという思いに駆られ、すぐさまプログラミング学習に着手し始めました。

就職後にゼロからプログラミング学習

スクールはまずオンラインかオフラインという観点で、TECH:CAMPとTechAcademyの二つで迷いました。

なぜこの二つかというと、実績があることと、また情報が多く良し悪しを判断しやすかったからです。

結局、自分は「モチベーションが高くオフラインである必要がないこと」「料金が14万円ほどで良心的であったこと」からTechAcademyで受講することを決めました。

選択するコースについては、副業として稼げる即効性があるということと、サーバーサイドをしようにも結局、フロントエンドの知識があった方が良いことから、フロントエンドコース』を選択しました。

フロントエンドコース』では、HTMLCSSJavascriptJQueryBootstrapAPIVue.jsを一通り学び、最後にオリジナルアプリを作成しました。

このコースの受講後は、一人で静的なサイトを作れるようになり、本気で取り組めば「1ヶ月でこんなに変われるんだ」と一人で感動しました。

プログラミングへの熱が冷めやらないうちに、定額制受け放題(※1)の形で『Webアプリケーションコース』『Wordpressコース』『Webデザインコース』『PHP/Laravelコース』『Pythonコース』『AIコース』『データサイエンスコース』と立て続けに受講しまくりました。

この間わずか2ヶ月半です。人は本気を出すと2ヶ月半でこれだけの量がこなせるんだなとしみじみ感じました。

一見、かなりお金がかかっているように見えますが、定額制受け放題で受講していたことと、会社からの支援金により、実際には全部で3万円ほどしか負担していません。

会社の制度を積極的に利用していくことは非常に重要ですね。

※1:定額制受け放題とは、1コース受講した人だけに提供されるカリキュラムであり、通常398,000円(税別)のウケ放題を【4週間42,000円(税別)】で受講することができる定額制のプランです。

ちなみに、TechAcademyの受講前にProgateで逐一予習していたのですが、TechAcademyの上記カリキュラムが全て終了する頃には、レベルが192になっていました(笑)

その後は、カリキュラムの課題とは別に3つほどオリジナルアプリを作成することで、知識の定着を図りました。

その成果物が、エンジニア転職活動のポートフォリオサイトにもなっています。

転職活動については、また別記事にて情報共有させていただきます。

【エンジニア転職】未経験の私が3週間でWeb系自社開発会社2社から内定を勝ち取った私の転職活動戦略

2019年12月22日

【エンジニア転職】実務未経験の私が面接でよく質問されたこと7選

2019年12月29日

その他に取り組んでいること

現在は、プログラミング中心の生活になっていますが、同時並行でTwitterやYouTubeでの情報発信や株式投資もしております。

Twitter

2019年の10月からTwitter(@YUJI_MZTN)での情報発信にも力を入れはじめ、毎月1000〜1500人のペースでフォロワーが増加し続け、執筆時点(2020年8月1日)で、10,000人を超えることができました。

発信内容は、「プログラミング」「エンジニア転職」「YouTube」「キャリア論」「人生論」などなど、わりと幅広く発信しています。

昔と違って、最近ではフォロワー数がインフレしているため、フォロワー1万人というのは、それほど価値があるわけではありません。

現在ならフォロワーが5万人いって、そこそこ一人前になってきたなという感覚です。

しかし、1万人まではただ継続すれば誰でも達成できるレベルですが、5万人となると、それなりに大きな実績が必要となってくるので、Twitterの毎日更新と同時並行で、事業を作ってインパクトのある実績を作っていこうと思います。

まさにそれが、これからの自分の課題であり、目標でもあります。

現在も元気に毎日更新をしておりますので、興味がある人はフォローしてみてくださいね♪

Twitterのフォロワーを増やすにあたって注力しているポイントなどは、別の記事にまとめていますので、ぜひご覧ください。

YouTube

YouTubeは2020年1月中旬から投稿開始して、開設1ヶ月目にしてチャンネル登録者数が1000人を突破し、2ヶ月目にして収益化の条件である総再生時間4000時間もクリアしました。

そして毎月1000人のペースで登録者数が増加し続け、本記事執筆時点(2020年8月1日時点)で登録者数は5800人となりました。

このペースで行けば、年内には1万人は達成できると思います。

YouTubeでも、Twitterやブログと同じく、「プログラミング」「エンジニア転職」「キャリア論」「人生論」「時事問題」など、幅広く発信していますので、ぜひご覧ください!

株式投資

株式投資は、積立NISAを使って、米国のS&P500に連動するインデックスファンドに長期積立を行っております。

アメリカは日本とは違い「今後も人口が増加し続けること」「会社経営が株主ファーストであること」「アメリカに投資することは全世界に分散投資していることとほぼ等しい」などの理由により、アメリカへの投資を行っております。

個別株への投資に関しては、勝率が安定しづらく利回りが読めないことから、資金に余裕が出てきたら、”趣味程度”でやろうと思っています。

最後に

私の簡単な自己紹介については以上です。

今後は、ブログ、YouTube、Twitterでの発信は当たり前として、プログラミングを使って自分のコンテンツ、サービスの制作に注力してこうと思います。

自分の好きなことだけしていきていく遊びをお金にするをポリシーにして、毎日小さくても一歩ずつ前に進んでいき、自分に革命を起こし続けます

ブログをご覧いただいて、描いて欲しいテーマや記事がございましたら、TwitterなどのDMでお知らせいただけますと幸いです。

今後も宜しくお願いします!!^^

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ABOUT US

1993年生まれ滋賀出身。京都大学、京都大学大学院を卒業後、大手通信会社に新卒入社するもさらなるキャリアップのためにわずか1年で退社。3ヶ月間プログラミングを学び、2020年4月からスタートアップ企業にWebエンジニアとして転職。「"遊び"を仕事にする」「何にも縛られず"好きなことだけ"して生きていく」がポリシー。