【京都大学の伝説】京大出身の異次元の天才たち

大学 / 大学院
YUKO
京大の人たちってすごいのにその中でも超トップ層ってことよね…。どんな人なのか気になる…。
YUJI
今回は京都大学出身の天才たちを一挙紹介していきますね!本当に日本の宝ばかりです!
本記事が想定するターゲット読者
京都大学の天才たちに興味がある人
本記事を読んで分かること
創業してから今に至るまでに京都大学が輩出した天才たちがわかります

京大出身の異次元の天才たち

今回は、京都大学出身の人間をやめた天才たちを紹介していきます。

京都大学は、皆さんご存知の通り、東大と並ぶ日本のツートップの一角です。

「西の服部平次、東の工藤新一」ならぬ「西の京都大学、東の東京大学」ですね。

東京大学の頭脳のアベレージの高さはもちろんやばいですが、京大も全然負けてはいないです。

東大にしても京大にしても、トップ層はかなりヤバめの火星人がうじゃうじゃいます。

そこで今回は、そんな火星人たちの中でも、さらにやばい火星人を5人紹介していきます。

この火星人クラスになると、いずれも超有名人ばかりなので、名前は聞いたコオtがあると思いますが、どんな分野の人で、どんな実績を残したのかを知らない人がいると思うので、ぜひ最後までご覧ください^^

それでは火星人が生きた時代の古い順から、順番に紹介していきます。

岡 潔(1901年〜1978年)

岡潔博士は、多変数解析関数の分野で世界的業績をあげた大数学者です。

多変数解析関数と言われても、自分もなんのこっちゃわかりませんが、そのような分野があるんだと思ってください。

岡博士は、この分野における三つの大問題を解決したことで有名ですが、その中でも「ハルトークスの逆問題(レヴィの問題)」という超難問を20年かけて、たった1人で解決したことが、世界中の数学者を驚かせました。

1936年以降、岡博士はフランス語で論文を発表していったが、ヨーロッパの数学者たちはその業績がすごすぎて、「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団があると思っていたらしいです。

こんなの1人でやっているわけがないと思わせるくらいの論文の量と内容だったということです。

また岡さんは天才数学者であると同時に、思想家として多くの随筆も残しています。

天は二物も三物も与えるんですね。

岡博士は1960年に文化勲章を受章して、1963年にはエッセー集『春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)』を出版しました。

数学は論理的な学問である、と私たちは感じていますが、岡博士は大切なのは情緒であると言っています。

人の中心は情緒だから、それを健全に育てなければ数学もわからないらしいです。

さらに、情操を深めるために人の成熟は遅ければ遅いほどよいとも言っています。

幼児からの受験勉強、学級崩壊など昨今の教育問題にも本質的に応える普遍性が書かれた、大数学者の人間論的なエッセイです。

自分で書いていて、何を言っているのかがわかっていないです(笑)

天才の思考を理解するのは難しいですね。

他にも調べてみると、岡さんが書き物は相当な数があったので、文学の天才でもあったわけですね。

まさに歴史に名が残るチート級の天才ですね。

朝永振一郎(1906年〜1979年)

朝永振一郎博士は、湯川秀樹博士に続いて日本人2番目のノーベル賞を受賞して、素粒子物理学を中心とする理論物理学の研究に大きな業績を残しました。

朝永博士は、素粒子を記述する場の理論とアインシュタインの相対性理論の関係を明確に捉える「超多時間理論」を発表しました。

なんだかシュタインズゲートの世界観ですね。

また朝永博士は、この超多時間理論を発展させて、場の理論の無限大の困難を解決する「くりこみ理論」を作って、光と物質の相互作用を解明しました。

もはや自分でも何を言っているのかが全然変わらないです。

最終的には、くりこみ理論を使って量子電気力学を完成させたことが高く評価されて、米国の2人の博士とともに、1965年にノーベル物理学賞を受賞しました。

朝永博士は、写真を見てくれたらわかる通り、イケメン博士としても名高いです。

ダンディで超かっこいいですよね。

湯川秀樹(1907年〜1981年)

湯川博士は、京都府京都市出身の日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した、天才理論物理学者です。

 湯川博士は1935年に、原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる、強い相互作用の媒介となる中間子の存在を理論的に予言しました。

湯川博士がノーベル賞を受賞したのは1949年で、太平洋戦争の敗戦から4年後のことです。

米軍の空襲で破壊された町中は廃墟の山であり、食べるものもろくになく庶民は生きることに必死だった頃ですが、理論物理学という難解な分野で受賞したことに誇りを持つようになり、日本人の自信にもつながったそうです。

湯川先生が最初にノーベル賞受賞候補者として推薦を受けたのは1940年です。

1941年からは太平洋戦争が始まり、日本は世界の科学界から孤立します。

そんな中、湯川博士の業績を正当に評価したのは、電子の波動性を発見して1929年にノーベル物理学賞を受賞したフランスのド・ブロイです。

大学で物理学に触れたことがある人なら、全員知っている名前でしょう。

ド・ブロイ博士は、1943、1944年と2年続けて湯川をノーベル賞受賞者として推薦していました。

戦後になってからも、湯川は1945、1946、1948年と相次いで外国の著名な理論物理学者らから推薦を受け、湯川博士の業績への評価はますます高くなっていきました。

この評価に決定打を与えたのが、イギリスの物理学者であるパウエル博士です。

宇宙線の中に中間子を発見して湯川予言の正しさを実証したことにより、1949年についにノーベル物理学賞の受賞が決まりました。

森 重文(1951年〜)

森重文博士は、元々は東京大学を目指していましたが、森さんが受験生だった1969年は、東大入試が中止されたので、そこで代わりに京都大学に入学したみたいです。

この1969年は今でも「東大入試中止事件」と言われています。

名前は、そのままですね。

1968年は学生運動全盛期で、全国の医学部の学生と研修医が処遇改善を訴え、活動拠点だった東大で「東大紛争」が起きました。

当局が機動隊を突入させて、ようやく武装解除されましたが、その影響で翌1969年の東大入試が中止に追い込まれた。

その当時の東大を目指していた現役受験生の多くは浪人を選択し、後のない浪人生は一橋大など別の難関大へと進学したそうです。

そんな中、森さんは東大は潔く諦めて、京都大学に進学したということですね。

森重文博士は、1975年に京都大学博士課程修了後、京都大学理学部助手となります。

そして1977年には、あのハーバード大学の助教授の職に就きます。

ハーバード大学で助教授をしていた1978年には「接束が豊富なら射影空間である」というハーツホーンの予想を解決した論文を発表しました。

もうこの時点で意味がわからないですが、その論文で発表された技法をさらに進化させた「端射線の理論」を1982年に発表したそうです。

ハーバード大学の助教授としての契約が終わると、名古屋大学や京都大学で教授となり、そのほかにコロンビア大学の客員教授の職にも就いていたことがあります。

森重文さんは、1990年に数学のノーベル賞と言われているフィールズ賞とアメリカ数学会から贈られるコール賞を受賞して、日本が誇る天才数学者として、世界的に知られています。

最後に森さんの天才エピソードを少し紹介します。

皆さんは、『大学への数学』という受験雑誌をご存知ですか?

この『大学への数学』の最後の方に、学力コンテストという超難問の数学問題が掲載されているんですが、森さんがまだ高校生だった頃、この学力コンテストに毎回参加していました。

そして、その回答がいつもほぼ満点で、雑誌の編集部も毎回、森さんから解答が送られてくるのを毎回楽しみにしていたそうです。

学生時代には、数学教授からオススメの数学書を渡されると、どんなに分厚い本でも1〜2ヶ月で読み終えてしまったそうです。

教授の方が次にどんな本を勧めるべきなのか迷ってしまうくらい、数学書を読むのが異常に早い学生だったみたいです。

望月新一(1969年〜)

望月教授は、数年前に数学の超難問の未解決問題であった「ABC予想」を証明し、かなりニュースに取り上げられたので、知っている人が多いと思います。

ABC予想と知らない人のために、念のために紹介しておきます。

ちょっと漢字とアルファベットが多すぎて「ちょっと何言ってるのかわからない」状態ですよね。。

このABC予想の証明がどれくらいすごいのかと言うと、このABC予想を使えば「フェルマーの最終定理」をたった10行で証明できてしまうらしいです。

ちなみに「フェルマーの最終定理」というのは、恐らく世界で最も有名な数学の難問の一つです。

1600年代にアマチュア数学者として活躍したフェルマーが遺したもので、数百年間未解決だった超難問でしたが、1995年にイギリスの数学者・ワイルズが完全に証明し、世界的な話題となりました。

ワイルズは、子どもの頃に「フェルマーの最終定理」と出会い、そこから7年間たった一人で黙々と研究を続け、ついに証明することができましたが、その証明は100ページ以上に及んだみたいです。

そのフェルマーの最終定理を、誰でも理解できるたった10行で証明することができるのです。

自分も難しいことはわかりませんが、望月教授は長らく未解決であった数学の超難問を解いた超天才数学者だということです。

望月さんは、小さい頃から天才すぎて、異次元のキャリアを持っています。

まず父親の仕事の関係で5歳のときに渡米します。

16歳で名門のプリンストン大学に入学して、19歳で卒業しました。

その後、大学院に進み23歳で博士号を取得します。

そして、世界屈指の数学研究機関である京都大数理解析研究所に入り、32歳の若さで教授に就任した。

16歳でプリンストン大学に入学と普通に書いていますが、そこからおかしいですよね(笑)

おかしいのはそこだけではありませんが、とにかく昔から天才で、宇宙人キャリアを歩んでいます。

さらにいうと、天才的なのは数学だけでなく、10歳くらいの時にギリシャ語とラテン語も勉強しています。

あと同じく10歳くらいの時に、古代ギリシャとローマの多神教にも興味を持っていたみたいです。

10歳は、小学四年生ですよね?

小学四年生なんて、鼻ほじりながらゲームをしているのが普通です。

一体、どうやったらこんな天才が生まれてくるんでしょうね(笑)

まとめ

ここまでで、京都大学出身の異次元の天才たちを紹介してきました。

どの人も、異次元級に天才で、同じ地球人だと思えない人ばかりです。

天才の実績だったり、エピソードを調べるのはめちゃくちゃ好きなので、今回はいつも以上に楽しく記事を書いていました。

レベルが違いすぎると、天才エピソードは一種のエンタメとして楽しむことができますよね。

私たちは、彼らのように天才ではないですが、少しでも社会貢献できるように頑張らないとですね。

京都大学出身の異次元の天才たち
  • ・京大出身の1人目の天才:岡 潔
  • ・京大出身の2人目の天才:朝永 振一郎
  • ・京大出身の3人目の天才:湯川 秀樹
  • ・京大出身の4人目の天才:森 重文
  • ・京大出身の5人目の天才:望月 新一
YUKO
やっぱりすごい人はすごいですね…。天才すぎて途中何言ってるかわからなかったです(笑)
YUJI
そうですね。自分もよくわかっていないので大丈夫ですよ(笑)。天才エピソードは、ちゃんと理解しようとせず、エンタメとして割り切って楽しみましょう(笑)
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