私が医学科を諦めて京大の工学部に進学した理由
今回は少々自分語り的な記事になりますが、自分が大学受験生の時に、医学科から京都大学に進路先を変更した理由について話していきます。
私は、一浪して京都大学に入学していますが、高校の3年間は、実はずっと医学科を第一志望校にしていました。
医学科を目指していた理由は、崇高な理由なんて1mmもなくて、ただ「医者になれば稼げる」とか「医者はモテる」のような不純すぎる理由で目指していました。
加えて、自分は高校では3年間ずっとトップの成績を取っていたので、とりあえず一番偏差値が高い大学を目指そうということも考えていました。
自分は高校卒業まではずっと滋賀県にいたので、高校一年の時から、地元で一番偏差値が高い滋賀医科大学を第一志望校にしていました。
両親や友人、親戚など周りの人間はみんな、自分が医学科に行くことを疑わないくらいに、ずっと自分で医学科に行くと言い続けていました。
それはさっきも言った通り、医学はモテるとか稼げるとか、「医学科を目指してる俺カッケー」みたいなことを考えていたからですね。
時間が経って、いよいよ受験が近づいてきた時に、ようやく自分の中に違和感を覚え始めました。
「あれ、俺って医者になりたいのか…。」
こう思ったわけです。
高校一年生の時から当たり前に、適当な理由で「医学科を目指す」と言い続けてきたので、本当に医者になることが自分の人生に最適なのかを考えたことがなかったのです。
ただ、センター試験が終わり二次試験の直前になって、医学科に入学することが現実味を帯びてきた頃に、ふとそういう疑問を抱き始めました。
しかし、二次試験を1ヶ月前に控えて、急に「医学科はなんか違うような気がします」とは言い出せないので、モヤモヤを抱えたまま受験会場に向かいました。
滋賀医科大学の二次試験は2日間にわたって行われるのですが、1日目は無事何事もなく終了しました。
しかし、試験2日目。
理科か数学かどちらか忘れたのですが、一教科目が終わった後、あともう1科目残っているにも関わらず、自分は途中で帰宅しました。
1日目はなんとか乗り切りましたが、やはり自分の中に本当にこのまま入学していいのかというモヤモヤがあって、全然集中できなかったからです。
むしろ、途中から受かってはいけない気がしてきたくらいです。
医学科に入学しても、自分の幸せはないんじゃないかということを思い始めた矢先の受験だったので、なかなかの精神状態で受験していたと言えます。
受験の途中で帰宅したので、当然滋賀医科大学は不合格になって、後期で阪大の理学部を受験しましたが、精神状態がよくなかったので、当然撃沈して終わりました。
浪人が決定した瞬間は、なかなか精神的にしんどかったです。
高校ではトップを取り続けていたので、大富豪から大貧民に一気に、都落ちした気分でした。
もしくは人生ゲームで、ゴール直前に、やばいマスに止まってしまって、全財産を奪われた挙句、振り出しに戻された気分でした。
高校の卒業式はもちろん全然楽しくありませんでした。
これまでの高校生活は、部活も勉強も人間関係も全部が輝いていたので、最後の最後の瞬間がこんな気分になるなんて思いもしなかったです。
卒業式は最低限、友達と写真を撮ったあとすぐに帰宅しました。
もちろん、卒業旅行なんかにも行っていません。
卒業式が終わってからの1ヶ月くらいは、ただただ実家でぼーっとしていた記憶があります。
たまにテレビで流れてくる四谷学院とか駿台のCMを見るたびに、少し気分が悪くなりました。
「あれだけ高校で勉強したのに、周りのみんなが大学生生活を謳歌している中、俺はあと一年勉強しなければいけないのか」
「また、テストや模試を何十個も受けなければいけないのか」
「またセンター試験や二次試験のような、あのプレッシャーを味わわないといけないのか」
色んなことが頭を駆け巡って、人生終わった感がありました。
とはいっても、このままずっと立ち止まっていては、人生が本当に終わってしまうので、とりあえず色々調べて京都の駿台に通うことにしました。
現役生がいたら、精神的に病みそうだったので、浪人生専用の予備校に通いました。
浪人生活は過酷なものになるだろうなと思っていましたが、クラスメイトに恵まれたおかげで、意外と楽しい1年間を過ごすことができました。
高校の時の貯金もあったので、浪人の1年間はそれほど頑張って勉強しなくても、京都大学の工学部に合格することができました。
高校では塾に行かせてもらえて、勉強できる環境をしてもらっていたにも関わらず、意味不明は行動を取って、本当に親には申し訳ない気持ちでいっぱいですね。
高校で学年一位を取り続けていたので、有頂天になって、自分の適性や将来のことを何も考えずに、
- 一番偏差値が高いから
- モテそう
- 稼げそう
のような適当な理由で医学科を目指していた自分に全ての原因があります。
井の中の蛙なんですけど、当時高校生の時は、勉強も部活のサッカーでも全部がトップで自分に敵はいないくらい調子に乗っていました。
だから、気がつけば「もっと周りからすごいと言われたい」という自己承認欲求の塊みたいになっていました。
だから一番すごいと言ってもらえそうな医学科を目指してみたわけです。
やはり、大学受験もしかり、就職活動もしかり、周りの目とか意見を気にして、自分の進路を決めると、後々必ず後悔することになります。
だから、両親に「こうあって欲しい」と言われても、自分の意思を貫くようにしましょう。
学校でどういうキャラで、どういう振る舞いで過ごしていようとも、自分のキャラを頑なに守ろうとせず、自分の本当にやりたいことや適性を見極めて、進路先を選択しましょう。
これは、自分の受験時代の失敗を通して、自信を持って言える教訓です。
ここまでで、ざっくりと自分の大学受験の話をしてきました。
ここから、自分がなんで医学科をやめて、京都大学の工学部に進学したのかという理由について、簡単に話していきます。
医者はお金はあっても時間がないと思ったから
まず一つ目の理由が、医者はお金があっても、時間がないと思ったからです。
医者は、全職業の中でも最も残業が多い部類の職業だし、人を相手にしているので、急遽休日に病院によびだされることもあります。
医者の年収がいくら1500万円だの2000万円だのと言われても、それを使って人生が豊かになるのは、自分ではなくて自分以外の家族だけではないかと思いました。
確かに自分の家族は、自分が毎日せっせと働いたお金で何不自由ない贅沢な暮らしを送れるかもしれませんが、自分自身は毎日働いてばかりで、幸せになることができないということです。
これはあくまで個人的な見解で、医者事情の詳細を知っているわけではないので、断定的に話すことはできないですが、およそそのような傾向があると思って、医学科に進学することをやめました。
人の命を扱うくらいの責任感を背負えないから
二つ目の理由が、人の命を扱うくらいの責任感を背負えないからです。
自分は、割と自由に生きたいと思っているため、自分の責任範囲が広くなりすぎたり、重くなりすぎる職業は、自分には向いていないと思いました。
責任が重いと一口でいっても、医者の場合は人の命に関わることなので、他の偉いサラリーマンとは、その責任の重さは比べ物にならないです。
もし、施術や診断をミスってしまったら、訴訟を起こされる可能性だってあります。
間違った対応をして、人の命を奪ってしまおうものなら、おそらく人生をまともに歩めないほどメンタルが崩壊すると思います。
そのような危険と常に隣り合わせの職業は、絶対に自分に向いていないと思い、医学科への進学をやめました。
医学科より工学部の方が人生の選択肢が圧倒的に広がると思ったから
3つ目の理由は、医学科をやめた理由ではなく、工学部を選んだ理由なのですが、医学科よりも工学部の方が人生の選択肢が圧倒的に広がると思ったからです。
医学科に入学すると、医者になる以外の選択肢はほぼありません。
他の選択肢があるにしても、医者以外の選択肢を選ぶ場合は、わざわざ医学科に入る理由はありません。
一方で工学部の場合は、進路先はほぼ無限に広がっています。
起業することもできるし、サラリーマンでもいいし、大学に残って研究者でもいいし、国家公務員でもいい。
工学部以外でも同じではありますが、工学部の場合は、特に理系分野、文系分野のどちらにも進路が広がっているので、一番進路が広い学部と言えます。
やりたいことがはっきりと決まっていなかった自分からすると、ひとまず工学部に入学しておこうという思考になりました。
工学部の中でも、実家から近く、なおかつ一番偏差値が高い大学に進学しようと思ったので、迷わず京都大学にしました。
ここまでが、具体的な医学科をやめた理由と工学部を選択した理由です。
医学科をやめた理由については、自分の間違った偏見が入ってるかもしれないので、もし医者事情に詳しい人がいたら、コメント欄でぜひ教えてください。
ここまでで色々と話してきましたが、とにかく進路は明確な目的と意志を持って決定すること。
周りの目や雰囲気、自分のキャラを過剰に意識して、進路先を決めないこと。
大学選びと、会社選びは人生に大きなインパクトを与える決断です。
一度きりの人生、自分を幸せにしてやるために、常に決断は真剣に行いましょう。
今回の内容については以下の動画でも解説しているので、ぜひご覧ください^^
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